キャリア開発セミナー02:キャリアの定義
・キャリアの定義
ここでキャリアの定義を再度考えてみたいと思いますが、キャリアには「外的キャリア」と「内的キャリア」という考え方があります。
「外的キャリア」は肩書き、地位、報酬など外から見えるもののことを指します。定年後はリセットされクリアされてしまいますね。一方の「内的キャリア」は、やりがい、働きがいなど心の中に感じる内面的なもので、自己概念(アイデンティティ)に繋がるものと考えます。
先ほどのアップかダウンか、という話でいえば、外的キャリアはアップダウンに適する概念ですけど、内的キャリアは「ストレッチ」の方がしっくりきます。外的キャリアを上り詰める希望を持つことは決して間違っていませんが、外的キャリアのみしか見えなくなってしまうと、すべてが“ゼロ・サム”的な考え方に終始してしまい、自分自身の成長のための大切な問い掛けを忘れてしまったりします。さらに言えば、外的キャリアのみに心を奪われると、すぐ近くにいる他者の感情や表情にも鈍感になってしまいます。チームには様々なタイプの人間が混在しているわけですから、チームとして仕事を行うことが難しくなる、ということにもなりかねません。
確かに企業組織は権力構造になっていますから、上意下達で指示命令が下され、下位者は上位者の指示を受けて仕事をすることが原則になりますが、部下の内的キャリアに鈍感な上司、自分ファーストの上司に対して、部下は本当に胸襟を開いて従っていくでしょうか。人間が他者に従うのは、もちろん規定されている権限は大きな要素にはなりますが、最終的に人間は、人望や徳についていくのです。ですから、極端な外的キャリア偏重型の人間は、本当の意味での人間的な成長を、周囲に促すことができないのではないかと私は考えます。
「キャリア」の定義ですが、過去から現在までの人生全体を振り返った自分の軌跡であることに先ほど触れましたが、その概念に「内的キャリア」の要素や未来に向けた時間軸も加え、私は「キャリア」の定義を以下のように考えます。
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キャリアの定義(武田)
自分自身に与えられたタレント(能力・個性)を、
いかに自分と他者の幸せと成長に活かしていくか、
その歩み方自体のこと。
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自分に与えられたタレントは、自分だけの所有物ではなく、自分と他者の双方が活かされるような使い方をして初めて、自分が自分らしく輝くことができる、と私は考えます。エピローグで振り返りますが、自分の与えられた使命や存在意味を考えるとき、たとえ小さいことでも「他者のお役に立つ」ということが自分の幸福感にも繋がってくることを覚えておきたいと思います。すなわち、「働く」とは「傍(ハタ)を楽(ラク)にする」ということかと思います。
真言宗の僧侶で看護師でもある玉置妙憂さんという方がいます。玉置さんは、夫の死を契機に看護師の仕事を離れ出家したのですが、その後再び訪問看護師として復職されます。看護師の容姿ではなく僧侶の容姿で患者と向き合う時、患者は身体的な健康だけではなく、精神的なスピリチュアルな健康も求めていると気づき、その面の啓蒙を現在では進めておられるそうです。
その玉置さんが言われるには、「人間は二利を回すことが大切である」とのことです。二利とは「自利」と「利他」のことで、自分を利することと同時に他者を利することを考えなさい、という意味です。逆に言えば、利他ばかり考えていると自分の中に幸せが少なくなってしまい、残り少ない幸せを分けることができなくなってしまうので、自分自身も満たすことが必要である、ということです。キャリアの定義(武田)に書かせていただいたように、自分と他者の幸せと成長に資するような歩みが大切だと思います。
アダム・グラントが著した本『Give and Take「与える人」こそ成長する時代』の中にも同様のくだりが出てきます。「自分のために他者を利用するTakerではなく、自分のタレントを他者のために使うGiverが最終的には成功する」という趣旨のことを、実際の事例を交えて語っているのですが、Giverにも2種類いて、自分をすり減らして他者に奉仕するタイプと、自分自身もしっかり充電しながらGiverとしての奉仕を行うタイプがいるとのことです。そして前者のタイプはTakerと比較しても成功することが難しい、と言っています。
皆さんも、「キャリア」に関する自分なりの定義を考えてみてください。(続く)
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