キャリア開発セミナー08:社外人脈の形成
人間は、社会的動物と言われます。どんなに強い人間でも一人で生きていくことはできません。
「社会脳仮説」というものがあるのですが、人間の脳は他の動物比べて、前頭葉と呼ばれる記憶や思考を司る高次な精神機能を行う部分が発達しています。その部分は、自然環境よりも社会環境に対応するために必要になった脳で、「心」を持つ相手に、一方的に不利な立場に置かれることなく協力関係を結ぶために必要な知恵を制御しているのです。
そういう意味で、社会生活をする上では「人脈」というのは非常に大切です。でも人脈にもいろいろありますね。自分との距離の近さで区分けすることもできますが、ここでは「社内人脈」と「社外人脈」に分けて考えてみたいと思います。
「社内人脈」というのは、ある意味非常に強固です。役割や立場は違っても、同じ目的に向かって結集する同僚同士ですので、お互いの利益が大きく反しない限りは協力関係を結びやすいといえます。でもこれは、「狭く深い」関係であり、言ってみれば人脈の上ではセーフティネットです。
しかしながら、人脈の上でこのセーフティネットしか無かったとすれば、その人のキャリア開発にはどうでしょうか。情報はほとんど社内からしか入ってこないし、それも社内で有用であると誰かが判断してフィルトレーション(選別)された情報しか入手できなくなってしまします。価値観についても、会社生活が長くなればなるほど、会社文化に即した価値観に収斂されがちになるでしょう。これでは、波風は立ちにくいけれども、社外の環境変化や新しい情報については疎くなってしまいますね。
会社文化に慣れきってしまうことの問題提起として、一つの例をご紹介します。Eight Silly Monkeys という話です。
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部屋の中に8匹のサルがいます。
部屋の真ん中にははしごがあり、天井のフックからぶら下がっているバナナの束があります。
でもサルがはしごを登ろうとするたびに、すべてのサルに氷水が吹き付けられ、みんなが惨めになります。ですから今度は、サルがはしごを登ろうとするたびに、他のすべてのサルは、スプレーされたくないため、登ろうとするサルを打ち負かします。
まもなく、8匹のサルの誰もはしごを登ろうとしなくなります。
その後、元のサルの1匹が取り除かれ、新しいサルが部屋に入ります。バナナとはしごを見て、新しいサルなぜ他のサルの誰も明らかにやっていないのか不思議に思いますが、新しいサルはすぐにはしごを登り始めます。すると他のすべてのサルは、彼の上にのっかり、新しいサルをボコボコににします。でもそうされる理由を新しいサルは知らないのです。しかし、痛い目に合いたくないので、そのサルはもはやはしごを登ろうとしません。
2番目のオリジナルのサルが取り除かれ、また新しいサルと置き換えられます。
新参者は再びはしごを登ろうとしますが、他のすべてのサルは彼をボコボコにします。以前からいる6匹のサルだけでなく、最初に入れ換えられたサルまで攻撃者と変わるのです。
しかし、最初の入れ替えで入ったサルには、なぜ自分が新しい猿を攻撃しているのか分かりません。周囲の古参のサルがそのようにしているから自分もそうしたのです。
一匹ずつ、すべての元のサルが置き換えられます。
今、8匹の新しいサルが部屋にいます。彼らのどれも氷水で噴霧されたことがない。彼らの誰もはしごを登ろうとしません。たとえ噴霧器が作動しなかったとしてもです。
それらのすべては、その理由も知らずに、新たに試みるサルを打ち負かし続けるのです。
これは伝統、宗教、民族プロファイリングが確立され、従う方法です。
自分の属している組織や会社で、このようなことが起きていないか、考えてみてください。
(https://storymirror.com/read/english/story/the-eight-monkeys/6c1blzygより抜粋。一部著者変更)
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このサルの話のように、組織や集団内の凝集性が強ければ強いほど、客観的な視点が掛けてしまったりします。
その一方で、人脈をワークやライフを含めて社外に広げてみたらどうなるでしょうか。
社外でお付き合いする人たちとは、例えば学生時代の友人であったり、地域の方々であったり、あるいは自分の子どもの学校関係で知り合った人たちということもあるでしょう。また趣味やクラブ活動を通じたメンバーもいるでしょう。これらの人たちに共通していえるのは、基本的には損得が無い立場での付き合いができる仲間であるということです。社内人脈であると、どうしても自分の仕事、自分の立場、自分の給料、自分の地位などのことを過去から将来にわたって常に意識せざるを得ませんが、社外の仲間は、そういう神経を使うことがあまりありません。ゆえに、素の自分を出すこともできるし、重たい仮面をつけておく必要もないわけです。ただ、社内人脈のように共通の目的に向かって戦う利益追求集団ではありませんから、関係としては「浅い」関係にはなってしまいます。
次のワークをやってみてください。
(手元に、点線で5角形を書いてみてください。)
あなたにとって、現在とても重要だと思う人、また普段困ったときに相談に乗ってもらったりしている人を5人に絞って、5角形のそれぞれの頂点に書いてみてください。その後、その人たち同士が知り合いであるなら、実線で結んでみてください。
いかがだったでしょうか。
実線の数は、最多で10本となります。実線の数が多ければ多いほど、あなたを取り巻く人間関係が狭い関係の人で占められていることになります。また実戦の数が少なければ、広い人間関係の中にいることになります。これは、どちらが良いという正誤の話ではありません。ただ、実線の数が多く、自分にとって大切だと思う人同士が全て知り合いである、というような場合には、ある意味閉鎖的な人間関係の中にいることとなり、本当に困ったときのセーフティネットの役割にはなるのでしょうが、一方、あなた自身の可能性を広げていくには、疑問が残りますね。
ワークライフ・インテグレーションの項でも述べたように、ワーク中心で人生100年は考えられません。肩書きがあるうちは良いとしても、そのような「地位財」は退職とともに無くなってしまいます。幅広い分野や世界の方々と知り合い、意見交換し、さまざまな生き方を考え受け入れるような、そういう人脈を育てていきたいものです。(続く)
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